ポットへの思い
湯を沸かすために使うポット。
たかがポット、されどポット。
幼い頃我が家にあったコーヒーポットは白いホーローのもの。
コレとそっくりでサイズ違い。
最近はあまり見ない光景だけど、当時医者が診察前に手を洗ってた白いホーローの洗面器を連想して見るたび心が重たくなったのを覚えている。
ひょんなことから我が家へやって来たが、今じゃ食器棚に置かれてる姿を見てるだけで和んでくるほど可愛く思える。
そしてポットとしても使えるパーコレーター。
同じく幼い頃のことだけど、写真と全く同じものが我が家にあった。
父親のものだったらしいが、父親が使ってるのは見たこと無い。
ずっと食器棚に置かれていた。
写真のものは「お湯も沸かせるしコーヒーも淹れられて便利じゃん!」
と昔キャンプ用に買ったもの。
年季が入って来るにつれ、見覚えが。。。
ある時ふとしたことから幼い頃家にあったものと同じであったことに気付かされた。
キャンプも行かなくなって釣りの時のカップ麺用となっていたが、近頃それもあまり無くなりほとんど使わないのに食器棚に置かれてる。
意識するとも無しに幼い頃と同じように。
この母親が愛用してたポットに似てる月兎印のスリムポットと、父親が愛用してた昔から定番のmirroのアルミ製パーコレーター。
どちらも「昔から実家に有った」ことや両親の「ポットへの思い」などは意識したわけでもないので それが入手のきっかけになったってことは全く無いが、成り行き上同じものを愛用している。
偶然か、必然か、お導きか。。。?
いや、幼い頃からだったので潜在的な何かかな。
そのせいだろうけど、これらを見る度に幼い頃のことを思い出す。
以前は「そう言えば幼い頃我が家に有ったなぁ。」程度だったが、
ここ数年は妙にノスタルジックな思いに浸ってしまうことがある。
何故かこのポットたちに纏わる幼い頃の思い出が不思議なくらい蘇る、、、どして?
ただそんな時は優しいなにかに包まれてるような、なんとも言えず心地良い気持ちで一杯になる。
特に印象的な回想シーンは、
母親がスリムポットのホーローが剥げた部分にマニュキアを塗ってるところと、
パーコレーターで「ほんとはこれでコーヒー淹れるんだよ。」と言いながらティーバッグの紅茶を入れてくれてるところ。
そんなどーでもイイことではあるが、思い出すととても気持ちが豊かになった気になれる。
父親が他界して半年あまりが過ぎたが、特に亡くなってからは顕著。
しょうもないことを頻繁に、そして心地良く思い出すようになった。
それもこのポット達が目に付いた時が多い。
不思議だ。。。