T.B.S.F.(TBSF)管理人の本当のひとりごと/日記

ややこしい話しは厳禁、ラフに言いたい放題。
『家族』「料理」「キャンプ」「釣り」をこよなく愛する早期退職プー太郎オヤジのひとりごと(日記)。
※キャンプも釣りもコロナ禍で自粛中な為行けてません(涙
 インドアの趣味である料理ネタばかりだけど、
 それも悪くないと思い(諦め)始めた今日この頃、なんだかなぁ。。。
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「お母さん、何かやってたの?」と、言われて思い出したこと

ある人から、
「お母さん、なんかやってた人なの?」
と尋ねられた。
書いた本人が忘れてたくらい前に書いた『いまだに母親に対して頭の下がるところ
を読んで、もしかしたら学校の先生だった人なのかと思ったとか。
「なんかって、特には。。。
長年専業主婦だったからなぁ。」
ちょっと間を置いて、
「お〜、そう言えばはるか昔に華道と茶道の先生をやってたことを思い出した!」
あまり興味が無かったせいか、すっかり忘れてた。
だが1つ思い出すと芋づる式に様々な記憶が蘇った。
以下、せっかく思い出したのでダラダラつらつら備忘として書いておこうかな。
 
 
まず華道だけど、
母親は自分の教室を開く程執着してなかったらしく、依頼があると出向いて教えてた(ように記憶している)。
どっかの女子大でも教えてたかな。
それ以外を強いてあげれば、
実家の隣には華道教室があって、そこの先生の代わりに時折教えに行ってたけど徐々に回数が増えてったように記憶してる。
幼い頃に時折連れてかれてた。
先生がかなりご年配だったので、おそらくご近所のよしみってやつだったかと。

そういえば、
高校生の時に付き合ってた彼女が「お母さんのこと知ってるゾ!」と言って、母親の展示会へ連れていかれたことがあった。
彼女は偶然華道を習ってて、「お母さんに合わせろ!」とせがまれた訳では無いけど、、、
妙な気持ちで彼女の案内で実の母親の展示会へ出向くと、成り行き上会場で母親を紹介したら妙に喜んでいたことを思い出した。
その時は取り巻き(?)らしき方々が次々と「いつもお世話になってます。」みたいな挨拶をしに来たけど、そんな状況であっても全然ピンと来てなかった。
会場でも自分の前では普通に母親だったし。
 
後はどっかの駅(多分東京駅)で母親の生けた花が展示されてたり、本(写真集?)が出版されてたことも思い出してきた。
 
興味が無かった為に断片的ではあるけど、付き合ってた彼女とのこともあり華道に関してはおぼろげながら思い出すことが出来たのは嬉しい限り。
ところが茶道に関しては、ほとんど思い出せない。
物心ついた頃には先生と呼ばれていたので、自分としては当たり前だったし幼いながらお茶とお花の先生なんだって程度は理解してた。
 
 
今思うと当時こちらは北区に住んでて、彼女は目黒区在住だった。
それなのに母親のことを知ってるってのは「街で有名なお花の先生」ではなく、ある程度知名度のある先生だったんだろうなあ。
 
何かやってたと言えば、はるか昔はそんなこともやってたな。
その彼女と付き合ってなかったら諸々思い出すことは出来なかったかも知れない。
今更ながら、その時の彼女に感謝 m(_ _)m
 
 
ただ、、、
別に華道や茶道をやってたから意識が高いって訳ではないような気もするが、
どーなんだろうか?
 
偶然昨日も「あんた、たまには新聞読みなさいよ。」と言われた。



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